本を読むとき
どんなスタンスで取り組みますか?
私はジブンゴトとして取り組みます。
例えば、自分が何かをするのにどう活かせるだろうか?
と学びを得ようとする。
というのが基本スタンスです。
本と映画の書評ポドキャスト「ホンタナ」
パーソナリティー、タナカくんと
そんな話をしたことがありましたが
そのことが以下の配信でに触れられていました。
ホンタナ: 2015.10.20 共感、傍観、菊池寛 〜「壬生義士伝」の感想から〜
「人に刃を向けることすらも共感できる」と絶賛のナリタ。登場人物たちが良心の呵責に悩みながらも生きる姿…そういう作品が好きだ、とナリタは再確認します。雑食の割に好き嫌いのあるタナカは、ナリタのスタンスに触発され、あらためて作品との向き合い方について考え始めます。意外なところから盛り上がりを見せる感想回となりました!
タニンゴトとして映画を見る
彼はタニンゴトとして取り組むようなのですが
彼と話していたときは、あまり深く考えてなかったが
これってどういうことなのだろうか?
ストーリーを構造で捉えるということか?
ストーリー展開、表現方法、舞台設定
そういったような要素に着目するのだろうか?
映画史上最高の映画、と評価されることもある映画「市民ケーン」
今年の正月に見てみました。
正直、よくわからなかったんです。
ストーリーが良くわからなかった。
というわけではないのですが
ふ~む、これがそんなにすごい映画
なのか~、という
恐らく期待値が上がりまくっていあるのでしょう。
Wikipediaなどを読むと、
「なるほど」と思うところもたくさんあるのもたしかで
映画、というものの技術に関してなどの造詣が深くないと
「わからない」映画なのかな、と思いました。
過去と現在を交錯して描くという斬新な構成や、トーランドの撮影によるディープフォーカスの使用、ワンシーン・ワンショット撮影、広角レンズ・ローアングルの多用、極端なクローズアップなど、画期的な表現技術・撮影技術が駆使され、公開当時はその技術が革新的すぎるといわれたものの、映画史上最大の傑作として現在に至るまで非常に高い評価を得ている。
引用元:市民ケーン - Wikipedia
というように技術的に革新的な部分が多かったようで
分からないものもありますが、
当時、革新的な技術だった、ということは
今は、当たり前の技術なのでしょうが
そういったものが、大々的に使われたという
ところに、「すごっ!」と思える人こそ
良さがわかる、という側面もあるんだろうな
そういったものが、大々的に使われたという
ところに、「すごっ!」と思える人こそ
良さがわかる、という側面もあるんだろうな
「わかる」には、知識や経験が必要というのは
今年読んだ、北村薫の創作表現講座で
非常に感銘を受けた捉え方でした。
そういえば、この本もタナカくんに教えてもらったんだった。
タニンゴトとして映画を見る、構造として映画を見るというのは
そういった映画や、ストーリーやそういったものに入り込んで共感する、
ジブンゴトとしてみる見方だけでなく
一歩、二歩離れて、ストーリーの外から見ることができる
それによって全く異なる楽しみ方ができるのかもな、と思いました。
これを、ホンタナのパーソナリティーの片割れであるナリタさんは
「タナカはメタ的なんだな」と一言できっているのが
おお、なるほど、とメタに憧れる私としましては
密かに羨望のまなざしを音声の向こうのタナカに向けたたのでありました。
ちなみに、ミスター・ビーンを取り上げて
爆笑問題の太田が映画で、田中が視聴者
映画のボケに、自分が突っ込むという
映画と自分の一体感を楽しむものだ
という捉え方、斬新だったなぁ。
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