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ゴーストライティングされるフェーズを2つに分けてみてちょっとスッキリした

周りが騒がしい。あんまり興味ないんだけどなー
でも、あまりにも騒がしい。
よし、とひとつ読んでみたら思うところがあった

ゴーストライターの件である。
記事一本読んだだけなので、最近騒がれている事件の
詳細は正直よく知らないのですが
ゴーストライターされるフェーズって種類があると思う。
それがごっちゃになっているようで気持ち悪い


ゴーストライティングされるフェーズを2つに分けてみた

創造フェーズ:作曲・作詞・執筆(?)
表現フェーズ:編曲・編集・作文

どちらのフェーズにおいてもゴーストライティングされちゃって
あちゃーと思うパターンと、個人的にはどうでもいいしー
というのがあるように思う。

創造フェーズの場合
音楽や小説などにおいてこの創造フェーズでゴーストライティングされると
ファンや世の中は失望するし、憤りを感じそう。

表現フェーズの場合
一方、絵画や彫刻などのような表現自体がアートな分野では
描く、掘るといった表現の部分でゴーストライティングされると
「なにーーーーーー!!?!?!??!?(怒)」となりそう。

どういうことなんだろうか?

つまり、その活動における神から与えられた才能
と捉えられる領域でゴーストライティングがなされることがNGなんじゃないかなぁ

で、やっと、本投稿のきっかけになった記事なんですけど。
この記事で言われている著者と執筆者は違うよね?
というのにとても納得したのです。

「あの騒動」に見る、いわゆる「ゴーストライター」の功罪:日経ビジネスオンライン
こちら


つまり経営者が書いたビジネス書だったら、その経営者がどういう考えに基づいて
判断・意思決定をするのか、を分かりやすく理解できることを
読者は期待しており、その人がきれいでわかりやすい文章を書くことへの
期待は二の次じゃないか?と

先ほどのフェーズで言えば
創造フェーズは、その経営者の考え方というコンテンツ
その経営をしていたのが実は黒幕というか黒子というかがいて
実際はその人は、言われるがままやってただけだよ。
とかなる、ゴースト経営者がいると、民衆は失意を覚えるだろう

一方、その経営者の考え方を「本」という文章に執筆する作文のフェーズは
別にその経営者本人が書いてなくてもいいよね。と私は思う。

翻訳本なんてまさにそうだ
ピーター・F・ドラッカー (著), 上田 惇生 (翻訳)
で、色あせない

しかも、この場合に上田さんがおそらくしていることは
英語を日本語に翻訳することだけでなく、
ドラッカーさんの考え方を日本人にわかりやすく伝えるための
「作文」をしているわけで、執筆者なんだよね。
というのが先の記事の主張だと思うし、多いに賛同できる。

なんてことを思ったりしたのでした。
ちなみに、疑う人はいらっしゃらないと思いますが
本ブログは、しのジャッキー本人が書いており
ゴーストライターはおりませんw

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