高レベルな対話は修行のようなもの?

2016年9月11日日曜日

いちかわTMO

t f B! P L
とにかくドンドン吐き出すこと
言語化すること、たくさん話すこと
文字化すること、たくさん書くこと

とにかくドンドン空気に触れさせる
他人の目に触れ、自分の目に触れ、
だんだん、輪郭がはっきりしてくる。


素直にありがとうを言えない人

いちかわTMOって、まちづくりのリーダー養成講座を受講していて
第二回の講座の後の懇親会、アドバイザーの方がするするする〜っと
横に来てくださって、「しのっちは、どんなことがしたいの〜?」的な
いや、もしかしたら、もっと緻密に計算された質問体系だったのかもしれないが
とにもかくにも、自分の想いを吐き出す時間をもらった。

30分程度だっただろうか、一区切り
「話してみてどうだっただろうか?」と

自分は天の邪鬼なので
「いえ、特に」と

かわいくないんだなぁ〜。
「いや〜、なんか考えが整理された気がします」
とでもいっていれば良かったと思うんだけどなぁ。

修行的対話


では、なぜ、そういえなかったのかは
ただ単純に、天の邪鬼だから、だけでななかったりして。

彼は、カウンセリングやコーチング的な能力がかなり高い
物腰は柔らかいが、実はとても硬い壁なのだ
こちらがちょっと思いつきや、他力本願的なことを言うと

「で、お前はどうなんだ?」
「本当にそれがやりたいのか?」
というようなところを、言わざるを得ないように”問われる”
お酒も入っていたので、具体的にどんな風に”問われたか”
覚えていないのが悔しい

まったく、敵対的な聞き方ではないのだ
むしろ、寄り添い、引き出されるような感じだ。
とはいえロジックの弱いところは見逃さない
なので、自分の本音の部分をドンドン出さざるを得なくなる

ある種の筋トレ、修行に近い。
心と脳みその、ある部分がだんだんジリジリしてくる
あまり長い時間は耐えられないのだ。

なので、「師匠、ありがとうございました!」
というのが正しかったのだろうと、
今、まさに、ドンドン文字化して、
自分の目に空気にさらして理解してきた

相手がいるからこそ、向き合わざるを得ないありがたさ


いや〜、とはいえ、その精神と時の部屋的30分の後は
とにかく、悔しかったんだよなぁ

なんで、こいつは、自分の弱いところをついて引きずり出すんだ
そこは、気持ちよく妄想させてくれよ!
でなければ攻撃的に、それじゃぁダメっしょ、と言ってくれた方が
気持ちをぶつける先もあるというものを
合気道のように、自分の力が利用され、
そのままグイっと自分に返ってくる
ちきしょ〜

自問自答だったら、苦しくなったらやめれば良いのです。
そう、逃げ出せば良いのです。
でも、目の前に相手がいる。
それはできませんよね。

末恐ろしい方に出会ってしまったものだ

師匠と呼ぶことにしよう

ということで、とりあえず、講座は隔週で
次回もいらっしゃるか、よくわからないので
とりあえず、吐き出したこのブログとともに
これから、師匠と呼んでいいですか?
とメッセージを送ろうかな、と思っております(爆)


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